薔薇の追憶 (27)

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「それはどういう意味だ?父が生きているとでもいうのか」
「ああ、殿下」
 だとすればどんなに嬉しいことでしょう。上体を捻って振り向いた彼に、女は睫毛を伏せて複雑な微笑を浮かべる。
「彼は、フリーザの軍基地内で陛下の御遺体が目撃されていたという話がある、と申すのです」
「死体が?フリーザの所でか?」
「ええ」
「なぜだ」
「それが・・一人の兵士がある場所で御遺体を発見したのだそうですが、それが口伝えに老爺の元に届く頃には、その兵士は軍から姿を消していたのだそうで、それ以上明確な事は判らなかったようです」
「ある場所とは?」
「・・・それは」
 女は低い声で呟き、言い澱んで俯いた。完全に起き上がった彼の背後に回り、新しい青いローブを着せ掛けようとする。
「何だ、早く言え」
 彼が急かすと、彼女は困ったように眉を寄せ、少々苦しそうに息を吐き出した。
「殿下、噂です。真偽のほどは分からないのです」
「それはさっき聞いた」
 女は自分の白い手を見下ろして黙り込んでいたが、さっさと言え、と彼が表情を険しくすると、諦めたように薄く口を開いた。
「・・その」
 喉に引っ掛かる言葉を押し出すようにして、女はやっと声を出す。彼らの間にさっと夜風が吹き抜け、彼女が手にしていたローブを揺らした。
「廃棄物を・・集積する壕室の中だったと」


『そんな!へ、陛下が!陛下がそのようなところに打ち捨てられていたというのですか!』
『お嬢さん、落ち着きなさい』
『嘘よ、そんな!酷い!ひどいわ!』
 椅子を倒して立ち上がり、半狂乱になって叫ぶわたくしに、老爺はあわてて席を蹴って取り縋りました。その日は男装しておらず(ルブも反対することなく護衛も付けてくれましたので、必要無かったのです)、老爺はその小さな身体でスカートにしがみつきましたが、暴れるわたくしの片肘が直撃し、彼は軽々と部屋の隅に叩き遣られてしまいました。
『グラム!グラム来てくれ!』
『嫌よ!ひどい!』
 老爺の悲痛な声が響くより前に、帳の外に控えていた大男は素早く反応していました。彼は沈静ガスの入った金属容器を手に踊り込み、わたくしを取り押さえると、吸引器を口にあてがってガスを押し出しました。
『大丈夫ですよ、さあゆっくり呼吸して』
 鎮静剤が効いて大人しくなったわたくしを覗き込み、老爺があやすように申します。グラムがその大きな指でとんとんと優しく背を叩き、宥めてもくれました。
『・・・ごめんなさい、取り乱してしまって』
『いいや、よくあることなのです。私が悪いのですよ、ついつい話さなくとも良いことまで話してしまう。老人の悪い癖だ』
 平静を取り戻したわたくしに、老爺は申し訳なさそうに眉をひそめました。それで―そうでなくとも今の騒動で知れてしまったでしょうが―彼がわたくしのことについておおよそ察しを付けているのだろうという事が知れました。
『陛下は・・なぜそんな場所で亡くなっておられたのでしょう。何があったのですか』
『分かりません。だが前後の経緯を勘案するに、フリーザに対して何らかの行動を起こした結果なのではないかと推察できますな。無茶をしたものだ』
 わたくしがグラムの指に抱えられて席に戻るのを待ち、老爺も倒れた椅子を起こして自分の席に戻りました。
『しかし、きっと自分でも無茶だと解っていたのですよ、彼は。死を覚悟した上で牙を剥き出したに違いないのだ』
『・・・何故そのような・・』
『どうしようもなかったのですよ。もう己ではどうしようもない所まで追いつめられてしまっていたのだ。私は、そう思っています』
『陛下が?・・・何に?なにが陛下をそんな場所にまで追い遣ったとおっしゃるの』
 顔を上げると、老爺の額に切り傷があり、そこからうっすらと血が滲んでいるのが目に入りました。わたくしが作ってしまったものに違いありません。ハンカチを取り出そうとして膝の上にあったはずのバッグを探しましたが、先程の立ち回りで飛んで行ってしまったのでしょう、手の平ほどの小さなそれは、そのあたりには見当たりませんでした。
『ああ、これですか。お気になさるな、こんなものはものの数秒もあれば治ります』
 わたくしの様子と視線に気付いた老爺が、どれ見せて差し上げよう、と申して額の傷をぴたぴたと叩きました。するとどうでしょう、十数えるか数えないかという間に、そんなものは最初から無かったかのように傷が消え失せてしまったのです。
『どうです。私にはこう見えて色々と特技があるのですよ』
 けれど得意そうに笑う老爺の子供のような様子も、その時のわたくしの慰めにはなりませんでした。いたわってくれているのだろうに申し訳ないとは思いながらも、感嘆の声を上げる事も、笑顔一つ作る事もできません。たださえやつれて酷い面容になっているのだろうに、と俯くわたくしを前に、老爺は気まずそうに咳払いしました。
『どうも余計な事をしてしまうな。どうです、今日はここまでにしますか』
『いえ、どうぞ続きを話してください。陛下はなぜ、どのように亡くなってゆかれたのですか』
『しかし・・』
『お願いします。さっきのような見苦しい様は二度とお見せしませんから』
『いやそういうことではないのだ。あなたは弱っておいでだ、お体がもつかどうか。それにここから先は、本当に私の想像ですぞ』
『それで結構です、伺いたいのです』
 お願いします。テーブルにこすり付けんばかり頭を下げたわたくしに、彼は軽く溜息を吐いて椅子に座り直しました。
『わかりました、ではどうぞお楽に』
 彼は奇跡的に無事だったフェルナンドのデキャンタを持ち上げ、同じく無事だった細足のグラスに赤いお酒を注ぎました。
『さあ、これを。気分がほぐれます。色々思い出されてお辛いかもしれませんが、それは飲まなくとも同じでしょうから』


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