薔薇の追憶 (25)

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『またお目に掛かるような気がしていましたよ、お嬢さん』
 人目に晒すのは憚られるほどやつれた姿のわたくしを前に、老爺は静かに申しました。小さく粗末なテーブルの向こうで、彼は相変わらずちんまりと腰を下ろしております。
『どうしても納得できない事があるのです』
『いつだったか私がお話した事に、ですかな』
『いいえ』
『では何に?』
『惑星ベジータの最期にです』
『・・・・・』
『どうしても腑に落ちないのです、かの惑星の』
『ああ、お嬢さん』
 老爺は俯き、右手を挙げて言葉の先を制しました。
『だから私は、近々あなたにお会いするだろうと予感していたのですよ。確かに例の星の爆発については私も奇妙な話を聞いています。だが知らずに居たほうが良い事も多いのだ』
『そうでしょうね。けれどそれはこの話については当て嵌まりませんわ』
『お嬢さん』
『お話を伺いたいのです。あなたの知り得る限りの全てを。どんなに小さな事でも、根拠の無い噂でも結構ですから』
 彼は、丸い黒眼鏡の奥からじっとわたくしをみつめておりましたが、やがて少々痛そうに眉をひそめて顔を逸らし、短い溜息を吐きました。
『何を聞こうと、知らぬ事に出来ますか』
『努力します』
『努めるのでは駄目なのだ。誓って頂きたい。何があろうと、これ以上の行動は起こさぬと』
『わたくしは事実が知りたい、それだけです』
『知ってどうなさる?何のためにあなたはそうしようというのですか』
『・・・受け入れるためです』
 何を、とは申しませんでした。サイヤの方々に良くない感情を持っているに違いない老人に―その頃までには、実はそういう人がたくさんいるのだということにわたくしも気付いていました―、自分がその王たる方に情けを掛けて頂いた一人であり、その方の死を受け止める事ができずに苦しんでいるのだ、とは申せませんでした。
 老爺もまた、それ以上は訊ねませんでした。彼は薄々察していたのだろうと思います。けれどその事でわたくしに対して感情的になるということは、後にも先にも一切ございませんでした。

 王陛下の訃報を受けて後、わたくしは部屋に籠り切りでした。食べ物は喉を通らず、飲み物も碌に受け付けられず、けれど不思議な事に一滴の涙も零れないのです。そうしてくる日もくる日も、バルコニーから見える景色をカンバスに写し続けていました。まるで、そうしていなければ正気を失ってしまうのだと言わんばかり必死で―
 わたくしは誰が訪っても部屋に入れずにおりました。しかし十日目の朝のこと、どうしても話したい事があるのだと扉の前で頑張る古参侍女の粘りに負け、遂に彼女を招き入れたのです。
『不審な話がございます』
 しつこく勧められるので仕方なくスープに口をつけていたわたくしに、彼女は声を潜めて切り出しました。
『惑星ベジータが消滅したのは、巨大隕石の衝突が原因だということに・・』
『やめてくださいな、聞きたくないわ』
 御最期に立ち会う事も、御遺体に対面することも無かったわたくしにとって、王陛下の御崩御は受け入れ難い事実であり、まるで実感を伴わないものでした。星と運命を共になさったのだと聞かされてはおりましたが、わたくしには、今にも陛下がドアを開いてここへお越しあそばされるのではないかという気がして仕方が無かったのでございます。部屋の扉を閉ざして外界との接触を断っていたのも、受け入れ難い現実から逃げ、夢の中に閉じこもっていたいとどこかで考えていたからなのでしょう。そのわたくしにとって、それはその時一番触れられたくない話題でした。常の好奇心など、現実に引き戻される恐怖に殺されてしまっておりましたのです。
『私だって迷いました、お耳に入れない方が良いかもしれないと・・でもやはり知っておかれるべきだと思うのです。陛下に御縁付いた方など、もう女主様の他には一人も生きておいでにならないかも知れないのですから』
 その時はまだ情報が錯綜していて、サイヤの人々の中に僅かながらも生き残った方がおいでになるのだという事を、わたくしも彼女も知らずにおりましたのです。またこれも後に知れた事ですが、陛下が他の星で縁付き、そこでお世話されていた女性方が、数名ですが今も御健在だと伺っています。けれど、やはり異星の人同士では難しいのでしょうね、その方々のどなたも、陛下の血を享けたお子様は儲けておられないようですが・・
『女主さま、私の従弟に惑星クレアの観測所で働いている者がおります』
 態度もあからさまに嫌がるわたくしを前に、彼女は強引に話し始めました。
『惑星ベジータは、巨大隕石の衝突が原因で爆発したということになっております。でも彼が言うには、それはとても信じられない話だと』
『・・どういう事ですか』
『かの星に隕石が衝突したとされる日、彼は丁度あの辺りの宙域の観測担当だったのだとか。けれどそういった隕石は、あの時間、あの周辺には見当たらなかったはずだと申すのです』
 彼女は給仕用にと持ち込んだ丸椅子の上で腰を浮かせて座り直し、わたくしの方に乗り出すようにして体を傾け、一層声を低くしました。
『例の宙域を担当していたのは彼一人ではありません。クレア観測所はここいら一番の規模でございますから。他にも二人が同時に張っていたそうです』
『・・・・・』
『奇妙だと思われませんか。あの巨大惑星を、あの短時間で粉微塵にしてしまったという隕石ですよ、そんな大きなものを見落とすなどという事があるものでしょうか。しかもこの宙域で最先端の観測所です、肉眼など殆ど使いません。システムの故障を疑って調査してみたけれども、何も異常は見つからなかったのだと申します』
 それが何だと言うのでしょう。隕石の衝突だろうが自然消滅だろうが、現実にもう惑星ベジータは存在しないではありませんか。わたくしはそこまで考え、軽い吐気を催しました。
『もういいわ、やめてちょうだい』
『女主さま、大切なのはこの後なのです。手早く済ませますからどうぞお聞き下さい』
『いいえ聞きたくないわ、お願いだからやめて』
『女主さま、代わりにはっきりと観測されているものがあるのです。それこそが王陛下のお命を奪ったものなのかもしれません』
 彼女の言葉は、的確にわたくしを突きました。狙い澄ましてそうしたのに違いありません。彼女は、何とかしてわたくしの意識を現実に振り向けようとしていたのです。
『・・・陛下』
『そうです、陛下のお命です』
『陛下の・・』
『お知りになりたいとは思われませんか、それが何だったのか』


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