薔薇の追憶 (24)

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『そなたに泣くほどの苦労があるとは思えぬが。それとも余が嫌になったか』
『・・意地の悪い方だわ』
 陛下は目を閉じたまま薄く笑われました。白い夜着のはだけた胸元には、朝の空気の中、王章が青味を帯びて光っています。
『それほど御信用がないのですか』
 聞き苦しい鼻声に陛下が瞼を上げられ、唇を尖らせたわたくしの視線の先にある王章を見下ろされて、鼻を鳴らされました。
『そうだな。そなたには相変わらず子供のようなところがある。そのような格好でうろついてみたり』
『これは』
『いきなりそうやって泣き出してみたりな。見ていて飽きんが』
『・・陛下こそ、こんな所に寝そべられて子供のようですよ。何をしておいでだったの』
『・・花を愛でておったのよ』
『それはブロンドの花ですか、それともブルネットでしょうか?瞳の色はブルー?それともヘーゼル?肌の色は』
『ふっふふ、全部まとめてだ』
『まあ』
 軽口の応酬はわたくしを幾分落ち着かせ、また慰めてもくれました。陛下は片肘をついて頭を支えられ、わたくしのほうに向き直られました。
『后のような事を言いおるわ』
『・・王后さま?』
『そうよ。あれは随分気紛れな女でな、余を拒絶し続けたかと思えば自分から体を開く事もある。死ぬほど余を憎んでおるのかと思えば、ずっと傍を離れなかったりもする。おそろしく冷たく、碌に口をきかぬ事もあれば、今のそなたのごとく、余を雄鶏のように申して妬く事もある』
 陛下は青い花に埋もれた王章に視線を落とし、静かなお声で語られました。ああ、陛下にとってお后様は、その危険な部分も全て含めて本当に魅力的な方であるのに違いない。王章の中心の膨らみを撫でる陛下の指先に、女の肌を愛しむような淫らな優しさを感じて、わたくしの内側はそういう思いで少なからずざわめきました。
『わからぬ女よ』
『でもかけがえのない方でしょう』
『なに』
『どんなに危険だろうと御し難かろうと、陛下はお后様をお手放しにはなられませんもの』
『・・危険とはどういう意味だ』
『巷の噂でございますわ』
『ふん・・余計な知恵を付けおって』
『お尋ねしてもよろしゅうございますか』
『何だ、申してみよ』
『何故わたくしを選んでくださったのですか』
『?何故、とは』
『館には多くの娘たちがおりました。それにわたくしがお側に参ったときには、既にとびきり美しい姉たちが何人も侍っていたではありませんか。なぜわたくしを?』
『・・・さあな。女を選ぶに理由など必要ない。気に入ったから抱いた、それだけだ』
 陛下は少し考えるようにしてお足元に視線を投げ、そう仰いました。
『わたくしが館の娘でなければどうなさいました』
『金で買えぬ女であれば、ということか?』
『そういう意味でもあります』
『ならばその気にさせるだけだ』
『まあ』
『余の手管を甘く見るなよ』
『うふふ』
 殿下、サイヤの方々は非常に誤解を受けている向きがある、とわたくしは常々思っております。その好戦的な御性情から、恐ろしく荒々しいばかりの方々だと思われがちですけれど、ユーモアや洒落っ気が皆無だという訳では決してなかったと。そこにそれほどの価値を見出される方々ではなかった、という事は確かだとは思いますけれども、わたくしは陛下のそのお言葉に、先刻感じた惨めな気持ちを洗い流されたような気が致したものでした。
 幸せな気分になっていた所に、思わぬことが起きました。わたくしのお腹が、突然くるくると空腹を訴えたのです。
 陛下は気付かぬ振りをして下さったのですが、わたくしは恥ずかしさに顔が紅潮して来るのを止めることが出来ず、終いには、これ以上俯けぬというほど身体を縮めて小さくなっておりました。
『未熟者よの。堂々と致しておれば良いものを』
『・・はい』
『それにしても、そなたは健やかだな』
 語尾の震えに気付いてそっと目を上げると、陛下は微かに体を痙攣させ、笑っておられました。その御様子を拝見して、わたくしは自分の役割が何であるか、陛下がなぜここにお戻りあそばされたかを理解できた気がしたのです。
『朝食に致そう。腹を空かせた子供がおるゆえな』
 陛下はさっと起き上がられ、ローブに付いた草を軽く払われました。
『放っておくと、そのうちひっくり返って駄々をこねおるかもしれぬぞ』
『まあ、ひどい』
 歩き始められた陛下の背中に付き従いながら、そういえば王太子様はもう三つほどにもなられようか、お腹が空いたらそのようにむずかられるのかもしれない、と想像してそのように申し上げますと、
『いいや、あれは空腹を感じると自分で黙って調達して来おる』
『もう御自分で狩りを?』
『違う。させれば致さぬ事は無いと思うが、普通は食わぬものを食おうとするのよ。先日などは大臣のカツラを涎で台無しにして、奴を激怒させておったわ』
『まあ、なんて可愛い!なんて面白い方なのでしょう!』
『そなたはあれを知らぬゆえそのように申すのだ。一事が万事そうなのだぞ。あの悪童に日がな一日振り回される傅人(めのと)を見ていると、さしもの余も気の毒になってくる』
 そう仰りながらも、あなたさまの事を話される陛下は楽しそうでいらっしゃいました。陰謀渦巻く冷たい王宮にも陛下をお慰めする方がおいでなのだ、と嬉しくなると同時に、わたくしは胸の詰まる思いを致したものでございます。
(なんて寂しい方なのかしら)
 大勢の側近方に囲まれておられても、華やかな側妾方を侍らせておられても、陛下は常に孤独なのです。どなたにも、本当には心開いて寄り掛かる事はお出来にならない。お立場が、それを許さないのです。王后様の烈しい御性情や、時に爆発するあからさまな敵意は、そういう中に身を置かれている陛下にとっては却って好ましいものなのかも知れない、と思いました。誰も本音でぶつかる事の許されない、王宮という世界では―
『陛下』
『何だ』
『今度はいつお越し下さいますか』
『なんだ、欲しいものでもあるのか』
『・・よろしいわよ、そうやっていつまでも子供扱いなされば』
 残念ながら、わたくしこそが、とは思えませんでした。陛下とわたくしとでは、立場が違い過ぎます。お苦しみを分けて頂けたら、とは思っても、わたくしには一生叶わぬ夢でございましょう。
 陛下の御髪(おぐし)とお背に、ラミカの青い花弁が点々と散っております。王后様を思わせるその鮮やかな色に複雑な思いを抱きながらも、わたくしは祈るような気持ちでかの方のお姿を思い浮かべずにはいられませんでした。

 色々な事が一度に起こった夜から朝でございました。尤も、運命的な事はそうして一編に起こりがちなものなのかもしれません。自己像を見失うほどの衝撃もありましたけれど、陛下との幸せな思い出として、この朝は記憶に輝き続けております。


 惑星ベジータ消滅の一報がもたらされたのは、その二年ほど後の事でございました。


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