薔薇の追憶 (21)

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『陛下?』
 明け方ごろ、咽喉の乾きに起こされました。見ると、隣でお寝みになっておられたはずの陛下のお姿が見えません。浴室にも、バルコニーにもおいでになりませんでした。
(御出立あそばされたのかしら)
 お忙しいお立場でいらっしゃるのですから、そうかもしれません。でも、以前は必ず朝餉(あさげ)を御一緒させて下さったものなのに、何か至らないところでもあったのだろうか、とわたくしは少々不安になりました。幸い女中たちは朝早くから起き出しているようなので、何か事情を存じているかもしれません。陛下の御様子を知りたくて、わたくしは薄手の夜着と共布のローブを羽織って階下に降りました。
『誰かいませんか』
 けれど、廊下にもロビーにも誰の姿もありません。皆、朝の仕事で忙しく致しておりましたのでしょう。けれど、わたくしはそのような早朝に階下に下りた事がなかったので、彼女らがどこにいるのだか皆目見当もつきませんでした。
 どうしたら良いものかとぼんやり佇んでおりますと、廊下の奥からマフィンの香りが流れて参りました。下女たちが朝食の準備に掛かっているようです。
(いいにおい・・)
 吸い寄せられるように、今まで足を踏み入れた事のない厨房に続く廊下を進みました。下女たちが何か知っているかもしれない、という淡い期待もあったと思います。
『けどさ、なんで急に戻って来たんだい、あの王様。うちの女主(あるじ)は捨てられちまったもんだとばっかり思ってたけど』
 いよいよその部屋の入口に踏み出そうかというとき、その野太い声が聞こえ、わたくしは驚いて立ち止まりました。陛下の事を噂している真っ最中だったようなのです。立ち聞きするつもりはなかったのですけれど、わたくしは廊下に佇んだまま動けなくなってしまいました。
『さあねえ。あたしら下々には分からない事情ってのがあるんじゃないの』
『女主も女主さ、あんな不実な男のどこがいいんだか』
『事情も何も、単に惚れちまってんのかもね。しょうがないよ、いい男だし』
『あんた、ああいうのが好きなのかい。あたしゃゴメンだよ、恐い顔してるじゃないか。あの目付きのオソロシイこと・・』
『まだまだだねえ。あれは絶対床上手だよ、オーラが出てるもの』
『そっちかい!ホントにスキモノだよ、あんたはさ』
『他に何があるってのさ、このカマトト』
『上等だね、万年発情期』
『あんまり出し惜しみしてると干物になっちまうよ、あんた』
『言ってな!あんたこそふやけて溶けちまわないように気を付けるがいいさ』
『ヘーンだ』
 他人の房中術の事など何故分かるのだろう、とわたくしは心底驚愕しました。彼女達はとても早口でしたし、言葉に所々理解できない部分がありましたが・・・
『でも知ってるかい、いろいろ大変みたいなんだよ、あの王様。ちょいと前に港で男共が噂してたんだけど』
『大変って、何が?女房に逃げられたのかい』
『馬鹿言ってんじゃないよ、その辺の亭主とカミさんじゃあるまいし』
『なんなのさ、勿体つけてないでお言いよ』
『なんでもね、最近あの王様の星じゃゴタゴタが続いてるんだってさ。惑星・・ええと、ベジータ、だっけ』
『ヤサイ星じゃなかったかい』
『あんたね、どうやったらそんな間違い方するんだよ。まあ何でもいいやね、そこで最近、あの王様の御家来衆が一杯処刑されたんだってさ。なんでも、カキュウセンシを煽ってなんたらを何とかしようと企んだとかどうとか・・』
『ナントカカントカって、それじゃ何が言いたいんだか訳わかんないよ』
『言葉がややこしくてよくわかんなかったんだもの。とにかく、王様に反乱を企てる連中が殺されたって話さ。300人近く粛清されたんだって』
『300人!?そんな調子で殺してたら、たださえ数が少ないんだろ、サイヤ人いなくなっちまわあね・・ま、もともとイカレた連中なんだし、全部死んじまった方が世の中のためってもんかもしれないけどさ』
『見せしめなんだろうね、公開処刑だったらしいよ。死体は串刺しにされて腐るまで広場に晒されてたとか』
『げえ・・なんて野蛮なんだろ』
『それだけじゃないんだよ、証拠が上がらなくて無罪放免になったらしいけど、裏でその連中を操ってたかもしれないってのが、王様の兄弟の一人だって言うじゃないか』
『ありゃ・・』
『その話がホントなら、そいつが生きてるうちは王様も安泰じゃないってわけさ。しかもだよ、話がそいつ一人で納まるたあ限らないときてる』
『やだねえ、そういうの』
 遂に始まったのだ、と思いました。いつだったか老爺が話していた通りです。
 その当時、わたくしの所には巷の噂といったようなものはほとんど入ってまいりませんでした。ルブが意識的に遮断していたような部分も大いにあったのだと思います。この館は御覧のとおり、彼の館を通らなければ出入り出来ないような構造になっておりますし、比較的簡単なことだったでしょう。わたくしは、その頃の陛下がどのような状況に身を置かれていたのか、それまで存じ上げずにいたのです。
『そうでなくても家来衆の突き上げがキツイって話だよ。あの人、フリーザと手を組んだだろ?それが気に入らないって連中がいるらしくて。その悪だくみしてたって奴らも、ここんとこ上から下に広がり始めてるそういう気運を、うまいこと利用しようとしたらしいんだ』
『フリーザかい!あいつは誰だっていけ好かないやね、見たことないけど』
『なんでも見たやつの話じゃ、唇が紫色らしいよ。そんでもってこう、角があって、目が赤いんだってさ』
『なんだいそりゃ、気味悪い割に間が抜けてるねえ。防具無しに海に入った、みたいな奴じゃないか』
『ほんとに馬鹿だねえ、あんたは。もうちょっとマシな例えは無いのかい』
『女主さま、何をしておいでです?』
 いつのまにか一心に聞き入っていたところに、突然背後から女中の一人が声を掛けましたものですから、わたくしはもう、心臓が止まりそうなほど驚きました。
『いえ、その・・』
『このような所にお越しになられてはいけません。ここは下働きの者達が出入りする場所なのですから』
 下女達に気付かれないようにという配慮なのでしょうか、凛とした声を可能な限り潜めて、彼女はわたくしを戒めました。
『さ、ともかくこちらへ』
 女中は控えめにわたくしの腕を引き、その場を離れるように促します。わたくしが大人しく従い、応接間まで移動した後、彼女は改めて向き直り、口を開きました。
『陛下をお探しですか』
『まあ、どうしてわかるのです』
『先程、夜着のままお庭に出ておられるところをお見掛けしたのです。ラミカの花の前でじっと佇んでおられましたよ』
『そう・・』
 考えてみれば、間仕切りの上や床の上に散乱している衣服の藍色が、目の端に映っていたような気が致します。起きたばかりでぼんやりしていたのでしょうか、それが陛下のもので、それがあるという事はまだ御出立ではないのだ、という事に思い至らずにおりましたのです。
『どちらへ』
 脇をすり抜けてロビーに出たわたくしに、彼女は鋭く声を掛けました。
『あの、陛下に御挨拶しようと思って』
『そのお姿で外に出ると仰るのですか』
 彼女は、どう見ても外出には向かないわたくしの格好を上から下まで眺め、眉をひそめます。
『・・まあ早朝ですし、陛下があのお姿ですから、よろしいでしょう。ですが向こうのお館の方には姿を見られませんように』
『はあ、気をつけます』
 わたくしに注意を与えた後、彼女はきびきびとその場を後に致しました。彼女はわたくしがルブの手許で育てられていた頃から、白の館で采配を揮っていた人です。こちらの館に居を移す際に、良く出来た人が必要でしょうからとルブが付けてくれたのですが、お陰でわたくしは四六時中彼女の監督下に置かれる羽目になってしまいました。


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