薔薇の追憶 (17)

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『穏やかならざる事ですよ。今現在そういった動きがあるという話は聞かないが、彼らが台頭してきて王に反旗を翻そうという気になってごらんなさい、どうなることやら分かりませんぞ。まして今は非常に微妙な時期だ』
『とおっしゃいますと?』
『王がフリーザと手を組んだ事を不満に思う臣下も多いからですよ。あくまで対等の関係を結んだはずが、いつのまにやらこき使われる羽目になっているではないか、とね』
『フリーザ、ですか。話には聞いた事があります』
『むろんでしょう。彼を知らぬものなど、この宇宙域にはおりますまい。この星の商人たちとて随分と理不尽な扱いを受けているのですからな。御存知か、上がりの七割は奴に巻き上げられておるのですぞ』
『まあ、そんなに』
『と言っても、正直に申告しているものなどおりませんがな。奴もそれを見越して七割と申しておるのですよ。それに、ここはまだ恵まれている方だ。奴に目を付けられたが最後・・・』
『マスター、お待たせしました』
 声を潜めて話していた彼は、帳のむこうで響いた声に驚いてびくりと身体を震わせました。
『グラム、何度言ったら分かるんだい。急に声を掛けたらびっくりするだろうが』
『ノックしましたよ』
『馬鹿を言うんじゃない、帳をどうやってノックすると言うんだね』
『こんなふうに』
 すか、すか、と布を摩るような音がして、帳の切れ目から大男が顔を覗かせます。そんな屁のような音が聞こえるものか。老爺は差し入れられたワゴンを引き寄せながら、ぶつぶつ文句を申しました。
『じゃあどうすればよろしいんで』
『うるさいやつだね、どたどた足音を立ててでも来ればいいさ』
 ほれ、下がった下がった。珍しいお酒を苦労して手に入れたのであろう事への―しかもこんなに迅速に―労いもないまま、老爺は彼を追い払いました。彼は実に大人しく帳の外へ姿を消しましたが、老爺の言葉を実践してでもみたのでしょうか、直後に地響きを伴う足音が響き始めました。
『グラム、止すんだ!せっかくの酒が零れちまうだろ!この阿呆!』
 たった今自ら注いだ液体がグラスの中で波打つのをハラハラと見遣りながら、老爺が声を張り上げましたが、グラムの小さな復讐は彼が遠ざかってしまうまで続いていました。
『まったく、あの馬鹿者め』
 小さなワゴンの上には、素っ気無いけれどよく磨かれた細足のグラスが二つと ―うち一つには、老爺によって既に半ばまで酒が注がれていましたが―、赤く透き通ったフェルナンドを湛えたデキャンタが一つ 、その隣には先程老爺が飲もうとしていたのと同じ薄桃色の液体が、氷を浮かべて背高のグラスに汗をかかせておりました。
『お待たせしました。どうやら御所望のものを手に入れてきたようですな。奴はそういう所は使える男なのだが』
 老爺は、もう一つのグラスにお酒を注いでわたくしに差し出し、乾杯のポーズを取って軽く会釈致しました。
『私も一杯だけ御一緒させて下さい。正直申して滅多に口に出来るものではありませんので』
『そんな事おっしゃらないで、わたくしは少しで結構です』
 今でも、それほどお酒を嗜むほうではありません。わたくしはただ陛下が好まれるものを好み、陛下のなさりように素直に従うだけだったのです。
『冒険家のお嬢さんの勇気に』
『今宵の御縁に』
 わたくしたちは控えめな挨拶を交わして杯に口を付けました。久しぶりに舌の上に広がる深い味は懐かしくて、わたくしはなんだか急に悲しくなってきてしまいました。
『彼らは、王にとっては諸刃の剣です。大きな働き手になり、種族全体のレベルを押し上げると同時に、いつでも王の立場を脅かすものとなりうる。否、彼ら自身がというよりは、今申したような不満分子たちが彼らを煽り、利用する事こそが最も危険なのだ』
 杯を干し、ああうまいと呟いて深く溜息を落とした老爺を見て、わたくしは自分が涙ぐんでしまった事に勘付かれないで済んだらしいと安堵致しました。
『要するにだ、彼は今非常に難しい立場にいるのですよ。内政的にも外交的にも。王后は、そうした危機に少しずつ油を注いでいるのです』
『そこまで意識していらっしゃるのでしょうか』
『彼女は激情家ではありますが、非常に冷徹な一面も持っています。だが、それにしても彼女の思惑がよく解らない。そんな事をすれば、ますますフリーザにつけいる隙を与えてしまうという事に気付かない筈は無かろうに。一族諸共立場を悪くしたいという訳ではなかろうと思うのだが』
 ひょっとすると狙いは王権の奪取なのか、にしても妙な話だ。やりかたもまどろっこしい。老爺は低い声で恐ろしい事を呟きます。
『まあ・・』
『王も王で、さっさと彼女を追放してしまえばいいのですよ。現に、側近達が密かにそう進言したこともあったようです。だが彼は、すべて承知の上だとだけ申して手放そうとしないのだ。せめてもう少し影響力のない地位に下ろして後宮から出入り禁止にすればよいのだが、それすらしようとしない。彼のような男でも色には勝てぬという事なのか、あるいは彼女に何かもっと別の利用価値を見出しているのか・・』
 老爺はそれきり黙り、空になったグラスの縁を乾いた指でなぞりながら、なにやら一心に考え込んでいるふうでした。わたくしはその無意識の行動に彼の心が現れている気がして、そっとデキャンタを持ち上げ、彼のグラスに中身を注ぎました。急な事でたくさんは手に入らなかったのでしょう、瓶の中のお酒は、もうそれで三分の一ほどを残すだけになりました。
 


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