薔薇の追憶 (16)

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『彼女は事あるごとに王を困らせ、徹底的に振り回しました。彼女のその姿勢は、今日に至るまでずっと一貫しています』
『どのような事を?』
『子供でも致さぬような我儘や意地悪で周囲を唖然とさせる事もあれば、王への害意を露わにして、王宮がひっくり返るような大騒動を引き起こした事もあります。例えば、そうですな、後宮には出入口が一つしか無いのは御存知か』
『いいえ。でもそうでしょうね』
『そうなのです。サイヤ人の身体能力が向上した現在では、意味のあるしきたりとは言えませんがな。何しろ自在に空を飛び、肉体を武器に出来る女達が住まうところなのだ。門を一つにしようが造りを頑丈にしようが窓に鉄格子をはめようが―実際に鉄格子があるかどうかは知りませんが―、無意味でしょう。だがそういった伝統というものは残るのだ。ともかく正門を通らなければ、後宮には出入りできないのです。物理的にというよりは、何よりも慣習的に』
『ええ』
『ある朝、浅い眠りから覚めた王が衣服をつけようと女官を呼んだが、誰も出てきません。憤慨しながら昨夜脱ぎ捨てたはずのものを探したが、それも見当たらない。門前には臣下達が迎えに出ているはずです、まさか裸のままで登場する訳にはいかないし、と言って自分の衣類がどこに置いてあるかなど見当もつかないので、彼は誰か来よと呼ばわり続けた。だが後宮の中は―正確に言えば、その内の王后の館の中だが―不気味に静まり返り、通りかかるものすらありません。そうしている間にも、刻一刻と朝議の時間は迫ってきます』
『何が起きたのでしょう』
『王后が、彼が眠っている間に女官達を一所に集めて眠らせてしまったのですよ。おまけに、前夜の衣装はもちろん、後宮の衣装所に置いてある彼の衣類という衣類を、すべてボロ布にしてしまった。そして、これ以上もたもたしている時間はないという頃合を見計らって王の前に姿を現し、あなたのお探しのものはこれかしらと焦げた切れ端を投げてよこしたのです』
『まあ、何て面白い』
『面白いで済むものですか。相手は王なのですよ。彼は結局、門前で首を長くしている臣下達の前に ―シーツだとあまりに情けないと感じたのでしょうな、赤いカーテンを巻きつけた姿で現れなければならない羽目になってしまった』
『まあ!ほほほ、可笑しいこと』
『普通の夫婦なら笑い話で済むのでしょうよ。だがこの事で王の怒りを買った彼女は、何ヶ月も地下に幽閉されました』
『そんな、大人気ない』
『彼に恥を掻かせる事は、すなわち彼の政治生命を脅かす事なのです。優れた統率者として有名な彼だが、それは自分という偶像を周到に創り上げた結果なのだ。彼女も重々承知でそんな事をしているのです、可愛い悪戯などではない。道化のような格好で現れた彼を見て人は何と思います?失笑を買うだけでは済みませんぞ。女一人服従させる事も出来ぬ男か、と軽視されかねない』
『そうでしょうか』
『そうですとも。ただ人(ただびと)でないという事は、そういう事なのです。万事がその統治に影響してきます。だが相手もただものではない。幽閉を解かれ、さる惑星への進撃に随行を許された彼女は、そこでまた一騒動起こしました』
『どのような?』
『彼女は、王に賭けを持ち掛けました。兵を南北二軍に分け、北は王、南は王后が指揮して侵略のスピードを競おうというのです。何も企んでいないはずはありません。時間を稼ごうというのでしょうな、スタート直後、彼女は彼の隙をみつけて背後から猛烈な一撃を浴びせました。後頭部を強打してすぐには立ち上がれないほどのダメージを喰らった王だが、そこはさすがにサイヤの男、指揮を側近の一人に任せて彼女を追い、一騎打ちです』
『一騎打ち?女性である王后さまが、王陛下と?』
『左様。むろん、身体能力的には王の敵ではない。だが彼女には抜きん出た戦いのセンスがあるのです。ついでに言うと、軍を指揮する能力は王よりも高い。兵をコマに、無駄の無い芸術的な布陣で、風のように敵を飲み込む』
『どうなったのですか』
『何しろ王は分が悪い。「あなたの大好きなわたくしの身体に傷がつきましてよ、それでよろしいの」 などと言われて翻弄されるのです。見ている者どもは面白かったでしょうな。惑星きっての色事師と言われた彼が、ずっと年若い彼女に良いように振り回されているのですから』
『まあ、素敵なニックネーム』
『事実ですよ。かの王家について知ろうとこんなところまでいらしたあなただ、彼を御覧になった事もおありになるかもしれませんな。いや、話してくださる必要はない。ここでは身の上話は邪魔なだけです。だが用心なさるが良い。彼に掛かれば、女達は誇りも理性もあったものじゃないのだ。あっという間に溶けた様に緩み、身を任せてしまうのですよ』
 本当に、そうなのです。陛下は何というか、独特で強烈な魅力を備えておられました。火を恐れながら、それに惹きつけられてしまうのに似ています。褐色の瞳に鋭く揺れる焔(ほむら)は、この方の内側には一体どんな色の炎が燃えているのだろうと想像をかきたてます。恐いけれどその熱に触れてみたい、呑まれてしまいたいと思わせないではいない何かを、あの方はお持ちだったのです。お会いしたときにはまだ少女であったわたくしでさえそのありさまですから、もとより女であれば抗う事は不可能でしょう。
『さて勝負ですが、やはり一対一では話になりません。細心の注意を払いながらの王の攻撃にも、彼女は徐々に押され、最後は気を失ったようです。指揮官をなくした南軍は北軍に吸収され、無論ゲームもそこで終了しました。だが問題は勝敗ではなく、王が賭けたものだったのです』
『何だったのですか』
『王后が何を賭けたのかは分かりません。王の耳元で囁いたと申しますから、周囲の誰もその言葉を拾う事は出来なかったようです。だいたい想像はつきますがね。だが対して彼女が彼に要求したもの、これがまずかったのだ。彼女は、自分が勝った暁には緋のマントを纏う事を認めろと言い出したのです』
『でもそれは・・』
『そうです、かの王家に於いてそれは王権の象徴。王以外には絶対に ―王太子は外交の場に於いてだけ例外的に認められる事もあるようですが― 身に着ける事は許されないものです。口に出したというだけでも、命を召し上げられかねない台詞ですよ。だが彼は、何を考えていたのでしょうな、多くの兵士達が見ている前でその賭けに乗ってしまった』
『負けないと分かっていらしたからでしょう』
『さっき申しましたな、勝敗など問題ではないのだと。よろしいか、専制君主制の下で、王権を誰かと分け合うなどという事があってはならないのです。万に一つの可能性でも存在すべからざるものなのだ。王は絶対不可侵にして唯一の存在である、という事が前提となり、柱となって政(まつりごと)が動いてゆくのですからな。どんなに些細なものでも、その絶対性を揺るがすものは徹底的に排除されねばならない』
『ただの遊びじゃありませんの』
『解りませんか。遊びだろうが冗談だろうが、彼らの行為は王の専制を崩壊させる一穴になりかねません。この場面を目にした、あるいは話を聞いた人間には、下克上の可能性の存在というものが意識下に植えつけられてしまう。いや、無意識の内に最初から人々の中に存在していたその思いを、よりはっきりしたものとして浮かび上がらせてしまう事にもなろうというもの』
『・・・・・』
『現王の政に滞りのない内はそれでよい。影響はありますまいよ。だがいざ綻びが現れたなら、それは人々の中で頭を擡げ始めるでしょう。ましてサイヤ人は、実に御し難い種族なのだ。そしてそれは、近年急激に現実味を帯びて来ている』
『どういう事ですか』
『彼らの中に飛び抜けて高い能力を持つ戦士が出現し始めているのです。理由は明確ですよ、「その必要が出てきたから」、これに尽きます。王がある人物と手を結んだ事で、彼らは定期的に戦闘に身を投じるようになった。また要求される戦闘レベルも高くなったため、何度も死の淵を覗くという兵士も少なくなくなったのです。命を危険に晒して見事に生還したなら、彼らはその都度劇的な進化を遂げます。そして、それは彼ら一人に留まらないでしょう。直接的・間接的に遺伝子に影響を及ぼすはず』
『それで王子さまも・・』
『そう、お聞き及びですかな。先年誕生した王太子、彼はさらに超化した種族へと変質を遂げるかもしれないと噂されていますぞ。不吉な話だ』
 ここで老爺はひとつ咳払いし、咽喉が渇いたのでしょう、何をやってるんだと帳の割れ目を睨みました。


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