薔薇の追憶 (13)

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 白い湯は、その大半がバスタブの外に溢れ出してしまっていた。
「素敵だわ」
 女は、全身花弁だらけで息を弾ませている。
「どけ」
 乱れた呼吸を整えると、彼は女から自身を引き抜き、彼女を押し退けて立ち上がった。
「どちらへ?」
「服を着る」
 まだぼんやりとした頭で、彼は自分が予定にない行動を取った事にようやく微かな苛立ちを覚える。そうしようとは思わないのに、彼は誘(いざな)われるまま女の着衣から一つ二つと花を毟っていた。そうしようとは思わないのに、花の下から現れた彼女の乳房に手を這わせていた。皮膚に擦れ、指に引っ掛かる布が邪魔で、それを引き裂いていた。後はもう、思い出したくもない。自分が自分でないような、極度の興奮状態に陥った。
「そのお身体で?」
 どこか夢見るような目で見上げている女がどちらを指して言ったのかは知らないが、未だ凶暴な形を保ったままの彼の一部やその他の部分の皮膚に、大小の花弁が幾枚も貼り付いている。花びらで彩られた自身の姿を見下ろして思わず舌打ちし、彼は女に背を向けてバスタブから出た。
「流しましょう」
 彼女が言うが早いか、帳の中に、天井から細やかな水滴が降ってきた。それはラタ石の光を反射して輝きながら、彼の火照った皮膚を流れ落ち、冷やしてゆく。
「失礼を」
 いつ浴槽から出たのか、女が彼の前に跪き、あたたかな口に彼を含む。たった今心地よく冷え始めた身体が、再び熱を帯び始めた。浴室には、湯の匂い、花の匂い、体液の匂いが満ちている。計算し尽くされているのかもしれない。官能的な調和をそんなふうに感じながら、彼は目覚め、駆け上ってゆく自らを感じていた。


『まずはこれを』
 老爺は一旦背後の帳の中へ姿を消し、一枚の姿絵を手に戻って参りました。
『これは・・』
『王后の姿絵ですよ。ちと昔の代物ですがな、それしか手許に無いのです。ホログラムなんぞは一枚も無くて・・今時珍しいお方ですよ』
 どういった状況で描かれたものなのか、薄汚れた紙にささっとスケッチしただけのものでしたが、切れ上がった目元と流れるような長い黒髪の、美しい女性でした。燃えるような眼光が、その内面の激しさまで伝えてくるようです。
『これはどなたが?』
『情報元を確認するのは悪い事ではありませんとも』
『ああ、お気を悪くなさらないで。簡単に描いたもののようなのに、とてもお上手なので・・』
『名も無き画家が魂を揺さぶられ、描かずにいられなかったのだと申します。まったく、とち狂っていたのだとしか思えません』
『なぜ?』
『サイヤ人の為している事はまともではないからですよ、お嬢さん』
 彼は微かに感情的になりました。人形が座っているのじゃないかしらと思ったほど、最初彼からは生気というものが感じられなかったのですが、個人的に何か思うところがあったのでしょうか、老爺は僅かに頬を紅潮させ、自分を落ち着かせるように深々と深呼吸しました。
『まあ、それは良い。人は時に、危険極まりないものに惹きつけられてしまう事があるもの。話が脇に逸れましたな。確かその時は、彼女はまだ王后ではなかったはず』
『御成婚はいつ?』
『王との、という意味ですかな。であれば、そう昔の事ではありません』
『・・・あの』
『彼女は元々、王弟の妃だったのです』
『まあ・・初耳です』
『王弟が亡くなった後、王が請う形で後宮に入られたのだそうですよ。だが事はそう簡単には運ばなかった』
『とおっしゃいますと?』
『王弟の亡くなり方が、異常だったのです』


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