烏龍の複雑 (2)

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 奥庭から、居住スペースのある中庭辺りの廊下に差し掛かったとき、ふと窓の外に目が留まった。中庭の中央にある一際大きな庭木の陰で、件(くだん)の彼らが昼寝している―というより、幹に凭れ掛かって昼寝するベジータに、ブルマがしがみついて眠っている、と言った方が良いが。
 ・・・嘘みたいな光景だよな。
 彼はベジータが地球にやってきた頃の事を思い出し、その景色の醸す穏やかな空気に感嘆する。
 あの頃は、こんな日が来ようとは夢にも思っていなかった。ここにはヤムチャがいて、プーアルがいて、きたるべき未来と、無茶苦茶なトレーニングをする男の為に、常に空気が緊迫していて―今目の前で午睡を共にする彼らは、寄ると触ると衝突していて。人造人間を倒したら、ブルマはヤムチャと結婚するものだと思っていたのに、いつの間にやら彼らの仲は終わっていて、気付いたときには彼女はベジータと出来上がっていて―彼らの間には息子まで生まれて。
 わかんねえもんだよ、ホント。
 烏龍がやれやれと首を振ったそのとき、突然ベジータが目を開いた。窓に光が反射して彼の姿は見えないはずだが、烏龍は思わず窓と窓の間の壁にすばやく身体を滑らせる。
「ね、寝てるんじゃなかったのか」
 別にまずい場面に居合わせたという訳でもないのに、烏龍はどぎまぎしながら、窓の端からおそるおそる彼らの様子を窺った。ベジータが、葉の隙間から漏れてくる陽の光にわずかに目を細め、それから彼の心臓に耳を押し当てるようにして絡みついているブルマの顔を、そっと覗き込む。
「ぶっ」
 その忍びやかな様に、烏龍は吹き出す。堂々として独尊的な常のベジータからは想像もつかない仕草だった。そうして彼は、ブルマが眠っている事を確かめると、さりげなく―そうすることが至極当たり前であるといった調子で―彼女の額髪に軽く唇を押し当て、薄く瞬きする。再び幹に頭を預け、ベジータが瞼を下ろすと、ブルマが目を閉じたままひっそりと相好を崩した。
 あいつ―
 男女の、平凡な光景。その平凡に、打たれる。
 あんな顔するんだな。
 かつて―烏龍にとっては現在も緊張を強いられる相手であり続けたが―彼は恐ろしい男だった。だが目の前にいるベジータは、腕の中の女のすべてを受け止め、彼女と睦む、ただの一人の男に過ぎない。
 降り注ぐ午後の陽光。いつもは煩わしい程のその眩しさは、大きな窓に切り取られた一幅の絵に、優しい色を添えていた。その絵から、ベジータの姿を消す事を想像してみる。それが思ってもみないほど空虚で味気無い風景になった事に、烏龍は戸惑った。そして、姿を見るたび、すれ違うたび、少なからず彼を威圧するその存在が、自分を含めたこの場所のすべてにとって既に日常なのだと気付く。
 悪かったよ。
 帰ってこなきゃ良かった、なんてさ。彼は複雑だった気分が晴れてゆくのを感じながら、でもよ、と呟く。
「いっつもあんな可愛気のある奴なら、オレだってそんな事思わねえんだ」
 どうしてなのだ。その声に反応したようにベジータがかっと目を開いたではないか。
 何だよ、このタイミング!
 少し離れている上にガラスを挟んでいたが、その視線は尖らせた焼きごてのように彼に突き刺さり、皮膚を焦がさんばかりに貼りついた。見ないでくれ。彼は視線を外そうと体中に力を入れる。だが無駄だった。逸らそうとすればするほど、彼は固く縛められてゆく。この目に囚われたが最後、意識を手放す他に彼が解放される方法は無いのだった。試したことはなかったが、ベジータの気が変わるまで耐えようなどとすれば、彼の心臓がもつまい。
 ―やっぱ、怖え・・
 広い廊下に、陽が燦々と降り注ぐ。薄れ行く意識の中で最後に耳に届いたのは、自身の頭が床に沈む、ごつ、という音だった。


「ま、どうしたの、烏龍ちゃん」
 日暮れ頃リビングに担ぎ込まれた烏龍に、ブリーフ夫人が心配気に声を掛ける。
「ろうかでたおれてたんだよ。きっとプールでやきすぎたんだ」
 こんな真っ赤になっちゃって。程度ってモンを考えなきゃ、大人なんだからさ。彼を運び入れたトランクスが大人びた台詞を吐いている。
 聞こえてんだぞ。誰のせいだと思ってんだ。
 実は覚醒していた烏龍が、ソファに横になったまま内心でこぼした。小さな肩に、よいしょ、と担ぎ上げられたときに目覚めたのだが、口をきくのも億劫なほど体中がだるかったので、そのまま気絶しておくことにしたのだ。まあそうなの、お体冷やしてあげなきゃね。夫人の甘ったるい声がして、奥のキッチンから氷でも持ってこようと言うのだろう、ダイニングへと足を運ぶ軽やかな靴音が遠ざかる。
「あ、パパ」
 喜色を含んだ子供の声に、烏龍は体中が硬直するのを自覚した。固く目を閉じ、息をひそめる。
「ママは?」
「眠ったから部屋に運んだ」
「もうすぐ夕ごはんみたいだけど、おこしてこようか」
「よせ。やっと左腕が自由になったってのに」
「大変だったね」
「・・ませたこと言いやがる」
 けっ、阿呆くせえ。何が『自由になった』だよ。どうせベッドに寝かせてやってから額にチューとかほっぺにチューとか口にブチューとかしてたんだろ。
「そいつは―」
「ああ、おくのろうかでたおれてたんだ。お昼すぎにプールのデッキでみかけたんだけど、あれからずっとやいてたみたいなんだよ」
「・・まだ転がってやがったんだな」
「なに?」
「いや」
 そうだよ、お前のお陰で全身ヒリヒリすらあ!お前なんか、やっぱ帰ってこなきゃ良かったんだよ!
「たおれるまでやくなんて、大人なのにおかしいよね」
「・・いい具合だろ」
「え?」
「良い焼け具合だと思うがな」
 背後で、きゅう、と息を吸い込むような音がして、トランクスが振り返った。気を失っていた烏龍が、さらに白目を剥いている。


 彼のメランコリックな生活は、どうやら終わりそうにない。


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