烏龍の複雑 (1)

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 複雑な気分だった。
 世界は魔人の恐怖から解放された。実に喜ばしいと思う。彼の居候先であるC.C(カプセル・コーポ)が無傷で残ったのだから尚更だ。けれど―
「ウーロンさん、なにやってんの」
 内庭のプールサイドでデッキチェアに転がっている彼に、レストハウスから子供が顔を覗かせ、声を掛けた。烏龍は振り向き、真っ白な壁面の撥ね返す陽光の眩しさに顔を顰める。じんわりと戻った視界に、さらさらと輝く紫の髪が映った。
「おうトランクス、お前こそ何やってんだ?」
「ん?んー・・ちょっとね、なんとなくリビングにいづらくてさ、ブラブラしてたんだ」
 彼はふうと溜息をつき、烏龍の隣のチェアに近付いた。自身の腰より少し高いそれに手を掛け、よっ、と尻から飛び乗る。
「お前もか。実はオレもそうなんだ。いちゃいちゃすんなら自分達の部屋でしてほしいよな、まったく」
 ホント、居候は気を遣うぜ。烏龍は鼻の穴を広げて不平を鳴らす。
「いちゃいちゃ?―パパたちのこと?」
 トランクスは彼を見遣って意外そうな声を出した。
「他に誰が居んだよ」
「・・あれ、いちゃいちゃしてるって言うのかな」
「あ?」
「ようすがヘンだとおもない?とくにママがさ・・・」
 彼は俯き、少し沈んだ様子で呟いた。烏龍は首を起こして訊き返す。
「ブルマがどうかしたのか?」
「・・きのう神殿からかえってきてから―ううん、もどってくるときからずっとそうだったけど、パパにくっついてはなれないじゃん」
「―傍迷惑だって以外に何か問題あんのか?」
「ヘンだっておもわないの?ずうっとだよ。ごはんたべてるときだって、ろうかをあるいてるときだって、ずっとだよ。オレあんなママ見たことないよ」
 ブルマがベジータから離れない。しかもほとんど物も言わないで密着しているのだ。確かに烏龍は彼らのその様子に辟易して、昼食後、ここに逃れてきた。
「あれじゃ、まるでパパの赤ちゃんだよ」
 トランクスは、少し口を尖らせて頭の後ろで腕を組み、チェアに凭れ掛かった。
「ははあ」
「なに?」
「お前、拗ねてんだろ」
 トランクスは意地悪な言葉に、ちがうよ、とそっぽを向く。仕様がねえよな、子供なんだから。烏龍は赤くなった小さな耳を眺め、ひひ、と忍び笑う。
 変だってんなら、ベジータの方だよ。
 彼女のやっていることを全く拒絶しようとしない。片腕を彼女に拘束されて身動きが儘ならなかろうと、悟空に「仲いいよなあ」と揶揄されようと、ブルマの母に例の微笑を投げ掛けられようと、密着されて食事しにくかろうと、その都度微かに眉をしかめてみせはするものの、黙って好きなようにさせている。さすがにバスルームの前では、待てだの待たないだの言って押し問答していたが―
「心配ねえよトランクス、ブルマはちょっと風邪ひいたみたいなもんさ」
「カゼ?」
「まあ聞けって。ベジータのやつ、今度のことで一回死んだだろ」
「うん・・」
「亡くしちまった、って思ってたモンが帰ってきたんだ。くっついて確かめてたいんだろうよ」
 お前だって大活躍だったんだ、面白かないだろうけどな。テーブルの上の、凍らせたマンゴ・ダイキリに―既に大方溶けてはいたが―手を伸ばしながら、烏龍は一人で頷く。
「ちょっと不安定になってるだけだよ。放っときゃすぐ元に戻るさ」
「・・そうかな」
「そうさ。なんつっても、オレはベジータがここに住み始めた時からあいつらを見てるんだぜ。ブルマとはもう四半世紀の付き合いだしな。信用しろって」
 ひゃあ、冷てえ。烏龍は、数多い好物の一つである優しいオレンジ色のフローズンカクテルを口に含み、大仰に叫んだ。彼が目を白黒させているのをじっと眺めていたトランクスが、おもむろに微笑む。
「それ、おいしそうだね」
「だめだぞ、酒なんだからな。飲ませたりしたらオレがベジータに殺されちまう」
「わかってるよ。大人になるまでまて、でしょ」
 だったら子供に心配掛けないで欲しいよな。チェアから降りながらぶつぶつと漏らした呟きに、烏龍が苦笑する。
「大変だよな、お前も」
 両親があいつらじゃ、色々他人にゃ解らねえ苦労があるよな。彼の同情に、トランクスは、まあねと微かに肩をすくめてみせる。
「ところでさ」
「何だ?」
「ここでなにやってたの?およぎもしないで」
「ああ―せっかくだから焼こうと思って。天気良いしな、自分の部屋に篭ってるのも惜しい気がしてよ」
 夜まで外出の予定もねえし。グラスをテーブルに戻し、濡れた掌を自分の頬に押し付けてひんやりとした感触を楽しみながら返した烏龍の顔を、トランクスがいつになく真剣な様でみつめる。
「・・ふうん」
「何だよ」
「ううん、べつにヤキブタだなんておもってないよ」


 洒落にならねえ冗談はやめて欲しいよな。まったく、サイヤ人ときたら。
 うそ寒い気分になった烏龍は、日光浴を中断し、部屋に戻ろうと廊下を移動していた。
 悪気が無いのだということは分かっている。彼が豚であることからその言葉を連想しただけの事だろう。でも。
 そういう事言われると恐えんだ。ベジータの子供だもんな、あいつ。
 あの異星人がここに居ついてから、もう10年にもなろうか。だが、彼にとってベジータが苦手な存在であることに変わりはない。可能なら、顔を合わせたくない。最初の頃に鑑みると随分慣れて来たとはいうものの―
 彼の気分の複雑さは、正にそこから来ていた。
 あいつが帰って来なきゃ、もっと良かったのに、なんてな。
 だが烏龍は、そう思う自分に後ろめたさを感じる程度にはベジータの存在を受け入れているのだ。そうなってしまった時に遭遇するだろう彼の妻子の悲嘆も、望む所ではない。
 どっかで妥協しろってことか。
 世界は平和だ。この上彼の緊張の根まで取り除いて欲しい、など贅沢な話なのだろう。


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