不夜城(2)

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 微かな物音を聞いた気がして、瞼を上げた。寝台に腰を下ろしたまま浅く眠っていたらしい。どの位時間が経ったのか、と枕元にある小棚の上の燭台を見た。女官たちが部屋を出る際灯して行った蝋燭が、もう三分の二ほどに短くなっている。古めかしい演出だと思ったが、ちらちらと火の踊るさまは情事の濃度を高めるものだ。結局のところやっていることは下々と変わらぬ、と彼女はまた口元を歪めた。
「なかなか度胸が据わっておる」
 突然響いた低い声に、驚いて振り返った。巨大な寝台の足元にある、背凭れの無いこれも馬鹿に大きな椅子の縁に、斜に構えた王が腕組みして尻を預けている。
「余を居眠って迎えた女はそなたが初めてだ」
 この目は、と初めて―いや二度目だ―間近にして息を飲んだ。
 力強く彼女を圧倒する、その存在感。すぐに気付かなかったのは、彼が気配を殺してでもいたからなのか。遠巻きに見る時とは桁が違う。射抜き、凍りつかせるその眼光に、知らず身体が強張る。
 平均的なサイヤ人に比べ、彼は少し色素が薄かった。瞳や髪の色は、黒というより濃褐色に近い。その目が、燭台の灯りに揺れて澄み光り、彼女を縛している。息苦しいほどの存在感は深紅のローブを悪趣味にも見せず、しかしその襟元から覗く素肌には真新しい噛跡があった。この場所にひしめいている女達の誰かから、早速にも送り届けられた挑戦状であるらしい。この男は、彼女を待たせて別の女を抱いていたのだ。
「今宵はもうお渡りが無いのかと」
 それに気付いた途端、金縛りが解けた。いくら何でも、それが王であっても、無礼である。
「お情けを頂戴できますの」
 非難と皮肉を込めて薄く笑いながら、彼女は首を傾げて見せた。
「そのために来た」
「でしたら、お体をお清めあそばして。他のお方と混ざり合うなど、わたくしは御免蒙りますわ」
 吐き捨ててから、屈辱と、突如襲ってきた恐怖に彼女の膝は震えた。身分を弁えぬ言葉である、と処刑されてもおかしくはない。
「震えておる」
 すぐ見抜かれた。王は面白そうにそう言うと、彼女の膝頭に一旦視線を落とし、それを下腹部に登らせる。一瞬その奥まで貫かれた気がして、息が漏れぬよう彼女は密かに歯を食い縛った。それすら見抜いたように、男が片頬を持ち上げて笑う。冷たい、しかし皮膚を焼き切るような鋭い視線で、薄布の上から彼女の身体をなぞる。
「余は臆病な女は好かぬ」
 静かだが、よく響く。身体の中に奥深い洞を抱えているような声だ、と彼女は感じた。
「だが気強い女のそういった姿は、なかなかにそそる」
「お考え違いを」
 寒いのです、と素っ気無く返すと、訊いておらぬと王が鼻を鳴らした。
「余がそうだと申せばそうなのだ。考え違いをしているのはそなたの方よ」
 立て、と王が命じた。声が届いた瞬間、身体が反応する。気付くと、立ち上がっていた。
「脱げ」
 という言葉に右頬を打たれ、彼女の手が細い腰紐の端を掴む。
 なぜ―
 と思う間も無く、それを引いた。透けるような薄布を幾枚も重ね合わせたものであるが、最初からそのように出来ていたのだろう、ついさっき女官達が磨き上げた肌の上を、夜着が波打ちながら音もなく走り降りてゆく。
 何故、従ってしまうのか。痺れ始めた理性を保とうと足掻き、彼女は考える事に努めた。そうしようとはっきり意識するという訳でもないのに、声を聞くと頭の中に白く靄が掛かり、気付けば命ぜられた通りに動いている。足元に落ちる夜着が起こした微かな風に乗り、擦り込まれた花の匂いがたちのぼった。自分はこの香が嫌いではない、と殆ど意識しない部分で彼女はそう感じた。
「なるほど」
 見事よの、と王が目を細め、一糸も纏わぬ彼女の裸身を切先のような視線で舐めまわす。卑猥な、と眉根を寄せたが、彼女は自分の呼吸が徐々に細やかになってゆくのを自覚せざるを得なかった。触れられもしないまま、肌が粟立つ。この男は、目だけで女を犯す事が出来るのかもしれなかった。
「清めよと申したな」
 腕組みしたまま、滑らかな動作で家具の縁から身体を離し、王が近付いてきた。
「そなたに任せよう」
 存分にやれ、と彼が腰を下ろすと、寝台が微かに音を立てた。すぐ右後ろに、体温を感じる。
「髪を除けよ」
 と王が重ねて短く命じた。
「髪?」
「背が見えぬ」
 腰まで降りた漆黒が邪魔で背中を観察できない、という事であるらしい。彼女は左手を首の後ろに回し、強張る指先で髪を掻いて左乳房の前に纏める。途端、それに頂を刺激されて、彼女の右手が思わず拳を作った。
「熟(な)れた女は良い」
 もうすべて見通しているのだろう、王がそう呟いて背後で低く笑った。彼女は、敏感になっている己を呪って唇をわななかせる。
「背はその女のすべてを語る。身体の前面は誤魔化しが効くが、背面はそうはいかぬ。皮膚の色、滑らかさ、脂の乗り方、筋の走り方、背骨の曲線、尾の反り具合、すべてその女の真実を写すものだ。そなたは」
 低く喋りながら、王は空中で美しく弧を描く彼女の尾に腕を伸ばした。掴むと、艶々輝く毛並に沿って愛しむように滑らせる。不思議なことに、それが敏感な部分から遠ざかるにつれ、彼女の一部は緊張の度合いを増してゆく。
「素晴らしい」
 先端を抜けて彼女を開放した手が、今度は尻に伸びた。そのまま引き寄せられた途端、尾の付根にくちづけが落ちる。
「は」
 たまらず、息を飲んだ。快美より驚きが勝った。そこはサイヤ人にとってセンシティヴに過ぎる部分である。何年も馴染んだ前夫でさえ、興が乗ればそっと触れる事があったという程度で、そんな無作法で直接的な振る舞いを仕掛けてきた事はなかった。
「ふふん」
 王が笑い、反り返った白い背を指先で撫で下ろした。身を捩った彼女の身体の向きを変え、自らの腰紐を解く。向き合う形になった女を前に袖からゆるりと両腕を抜き、胸元でそれを広げると、隆とした全身が露わになった。見まい、と目を閉じる女の膝の隙間に、彼女の手首ほどの太さがあろうかという尾を躊躇せず割り込ませ、その先端を再び彼女の付根に伸ばす。
「・・・・・」
 それがじわりと動きながら、円を描く周囲を攻める。加えて、腿を登ってきた尾の中ほど部分が蛇のようにうねり、最も柔らかな箇所を巧みな動きで嬲った。両手は、彼女の腕を軽く掴んだままだ。目の前で揺れる白い房にもほとんど気紛れのように軽く口を付ける程度で、舌さえ使おうとはしなかった。中途半端で残酷な辱めに、彼女は奥歯を噛み締めて耐える。しかしかろうじて無言は保ったものの、気付くと男の肩に両手の爪先を食い込ませ、自分の尾を相手の尾にきつく巻き付かせていた。
「あれは知ろうともしなかったのだな、そなたという女を」
 それが彼の弟の―彼女の前夫の事であると脳に達したのは、逞しい脚の間に頽(くずお)れた後だった。
「さあ、気の済むまで清めるがよい」
 負けまいとして抗うものの、肉はもう半ば屈服していた。身の最奥に突き立てられる瞬間を想い、彼女の唇はそれを迎え入れるべく丸く開いてゆく。前夫の顔が脳裏に浮かんだ。それが悦びに震える本能によって簡単に掻き消されてしまった事に、彼女の心は鞭打たれ、傷付けられて血を流した。
 だが同時に、思った。
 わたくしは、待っていたのかもしれない。この自分を組み敷く者を―
 あの人は何故死んだのだろう、と前夫の不可解な戦死の事を考えた。それが、己も知らぬ己が招いたものだったのかもしれないと慄き、それを振り払おうと彼女は行為に没頭していった。


2007.12.23



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