薔薇の追憶 (1)

 Gallery  Novels Menu  地下室TOP  目次  Next

「何考え込んでるの?」
 甘やかな声に、ヤムチャは我に返る。
 最近一緒に暮らし始めた恋人が、胸板の上で寛ぎながら彼を見上げていた。湯煙の中で美しく上気した上目遣いの顔に、彼女の歳若さが見え隠れする。
「いや」
 水面を埋める薔薇が、彼らの半身を湯に閉じ込めている。彼女の、最近の一番のお気に入りだ。色付いた肌に纏い付くイヴピアジェの鮮やかなピンクが、彼女の瑞々しさと相俟って彼をほろ酔い気分にさせる。
「ちょっとな。香りに酔っちまったみたいだ」
 浴室に満ちる香りは少々濃厚に過ぎる気もしたが、彼に追いつこうと背伸びする彼女のいじらしさのようにも感じられる。
 何て可愛いんだろ。
 口に出せば『子供扱いした』と臍を曲げられるので黙ったまま、華奢な身体を抱く腕に軽く力を込めると、溶けそうな吐息が彼の胸板に掛かる。
(そういや俺って、こういうの初めてかもしれない)
 彼は、未熟な女に背中を追いかけられたという経験が無いのだ。
 都に出て来てからというもの、服装から髪型からマナーからそれこそ言葉遣いに至るまで、全てをブルマに叩き込まれた。彼女は我儘だが面倒見は良く、意外に響くが他人にレッスンを施すに適したタイプの女だったのだと彼は思っている。そんなの駄目よ。彼女は頭ごなしに冷たく言い放って一旦彼をぺしゃんこにするが、その後の『そうそう、すごく素敵よ』という一言を報酬に、再び奮い立たせるのだ。
(ベジータだってそうだったもんな)
 ヤムチャと比べて(誰と比較してもだが)喜や哀や楽が極端に顔に出難い男だったが、彼は幾度となく目撃してきた。ブルマの『やるじゃないの』 だの 『似合うわよ』 だの 『セクシーだわ』 だのといった言葉ですいすいと操縦され、結局は彼女の思う方向に鼻先を向けてしまうベジータの姿を。
(馬鹿だよなあ、男ってのは)
 彼の手が、まだ肉の薄い背中を愛らしい双丘に向かって滑り降りる。彼の事が好きでたまらない若い恋人は、それだけでもう身体を震わせる。
 ブルマとも、こうして戯れた事がある。
 真紅の花間に開く、滑らかで白い肌。背中から抱いた彼女の、豊かな尻が内腿に甦った。腹に触れている乳房の硬いほどの弾力に、彼は昔と今を行き来する。思わず目を閉じていた。遠い感触を、逃がすまいとしたのか。
「ヤムチャったら」
 恋人は、湯の中で彼の反応に指を這わせてくすくす笑う。濃い赤。鮮やかな薄紅。どちらの香りに首を伸ばしたものか。自分でも分からない。
 今は他人の腕の中、か。
 彼らにも、ああして濃密な戯事に時間を割く事があるのだろうか。
(あんな顔して・・)
 彼は、ベジータの過剰に鋭い容貌を思い浮かべて口元を緩める。だが彼女と二人きりなら、また違った表情を見せるのかもしれない。
 ふと、初めて真傍で ―睫毛の一本一本が見える距離で― 男の顔を目にした時の事を思い起こした。
(恐いんだけどなあ・・)
 一瞬立ち昇った物凄まじさに、ぞうっと総毛立った。鋭利な刃物で彫り込んだような目元から流れた視線に、皮膚を裂かれるような気がした。そう感じてでもいなければ心の蔵が止まりそうだからなのか、あるいは元より自分にそういう才能があったものか、彼はその漆黒の湿度に艶めいた色をさえ見出した。
「・・参ったな」
 自分は男を愛する体質ではない。それは絶対だ。試した事はないが、実践すれば吐くかもしれない。
「なあに?」
「いや、上手い」
「本当?」
「ああ」
 だが彼を刺激するその指は、一体誰のものなのだろう。嬉しそうに破顔する恋人を眺めながら、彼は複雑な気分になった。


 Gallery  Novels Menu  地下室TOP  目次  Next