愛するのか、殺すのか。

〜り無人のツボ〜

 Gallery  店主のつぶやき

 店主のベジブルツボにクリーンヒットしたコピーでした。(Blog7/27『愛するのか、殺すのか。』加筆・修正)


 「梟の城」という映画を御存知でしょうか。

 中井貴一氏主演の時代劇で、もう5,6年も前の作品です。最近ふらりとTUTAYAを覗いたとき「なつかしいなあ」とDVDを手に取りました。
 映画評等でもよく言われていることなのでしょうが、エピソードを詰め過ぎの感はあります。なかなか深くてリアルでゴージャスで面白いのですが、詰めすぎなので消化しきれない。で、長いんですね。3時間位あったんじゃないかと。静かに進行する場面も多いので、ちょっと眠くなってきちゃったり・・・まあ映画評は置いときまして。
 そのパッケージにあった文句が、「愛するのか、殺すのか。」

 「ベジブルや・・ベジブルがこんなところに・・・!」

 り無人、夜中のTUTAYAで萌え死寸前(いいトシしてやばすぎます)。
 ナメック星編に変換出来ちゃったりしませんか。(内容が激しく歪められていることについては軽くスルーしておいて)。二回も借りたのに(一回目ぐっすり眠ってしまって話が全く解らなかったので 笑)、テレビでも見たのに、中身を持ってカウンターにダッシュしそうになりました。踏み留まりましたが。昔見たときは「カッコ良い文句」くらいにしか思わなかったのですが・・うーん、ベジブルフィルター恐るべし。

 色々文章を書く中で「ああそうなんだ」と気が付く事ってよくあるのですけれども。
 どうも店主は、カップリングにおいて「男性の方に大抵のことを可能にする力がある」状態で、かつ互いに魅かれ合っている状態で(ナメ編では全然そんなケも無かったんですが)、それでも彼はその女性をどうこうしない、というシチュエーションが好きみたいなんですよ。要は「あやうい状態」に萌える、ということなんでしょうか。そんなこと真面目に考えたことなかったので知らなかったんですが(笑)。魅かれているが無自覚に、あるいは自覚していてもそれを認めないで、我慢している状態が好きだというか。「正面から認めてしまわない」というのがポイントです。認めてるとただの「待て」になってしまうので(笑)。
 そう思って見ると、自作品の話で恐縮ですが、当サイトの馴れ初めものなどは正にこの状態なんですよね。ずーっと認めないで押し込んでいたものが、ある瞬間に糸が切れ、制御が利かなくなる。もう自分たちにもどうしようもない状態でなだれ込んでしまう、というか。やっぱり自分の好きなシチュを書いてしまうものなんでしょう。唐草居茶臼に近い形でしたし(美しいと思われませんか、この体勢)。
 ・・もっと書きたいですが、これ以上は下品になりそうなので、今更ですが自主規制してみます(笑)。