ザ・男前倶楽部 PartT(1)

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 その日は、夜明け前に目覚めた。

(ブラインド下ろすの忘れてたな)
 すっかり明るくなった空の光に目を瞬(しばたた)かせ、吐息交じりの呻きを漏らす。だが二度寝するのも勿体無い早朝の爽やかさに、珍しく散歩でもしてみようかという気になった。ヤムチャはまだぐっすりと眠っているプーアルを起こさぬよう気遣いながら、白い半袖のポロシャツに薄いベージュのチノパンで軽く身支度を済ませ、静かに部屋を出る。ピマ・コットンの肌理細かい質感と上品な光沢を気に入り、シリーズで買い込んだシャツは、ここのところ彼の毎朝の定番だった。
 階段の踊り場で足を止め、ガラスの向こうに薄青く広がる都の遠景を見下ろし、彼は思わず深呼吸する。
 (久しぶりだよなあ)
 近頃では早朝からトレーニングする事など滅多にありもせず、この清々しさに触れる機会もほとんどなかったと気付く。窓はぴったりと閉じられており、外気は流れ込んで来てはいなかったが、肺を満たす室内の空気が旨く感じられるから不思議だ。
「いい朝だ」
 彼は呟き、それから窓の外、足下に広がるカプセル・コーポの中庭を何気なく見下ろした。
「・・あれ?」
 一面を若々しい芝で化粧したその南側の一角に、この家の女主人が選んだ白いガーデンファニチャーがセットで据えられているのだが、そこに誰か居る。手前のチェアに腰掛けて両腕で頬杖をついている人物は、ブルマだ。
(もう一人・・)
 テーブルに半身乗り出すような格好の彼女の右奥に、もう一人誰か居るようだ。目を凝らすと、空を刺すような黒髪が、彼女のふわふわとした薄紫の向こう側に見え隠れしているのが確認出来た。
「何やってんだ?あんなとこで」
 こんな時間に。ヤムチャは首を傾げ、少し足早に階段を下りる。もう慣れっこだったが、彼女の糞度胸に舌を巻きながら―
 全然恐がってないな。
 だが確かに、彼と最悪の出会いを果たしたサイヤ人は、このC.Cで今のところ大人しく日常を送ってはいる。ヤムチャ自身、ベジータが何をしてきた男なのか普段は忘れてしまっている程だ。
 ・・・俺って、やっぱお人好しかな。
 今の如く何かの拍子にそれを思い出すと、彼はそうやって自分を嗤わずにはいられない。あの男に (直接手を下された訳では無いにしろ) 一度は殺された自分だというのに、和気藹藹とまでは言わないものの、同じ屋根の下で平和に起居しているのだ。

「はーん、あんた女の子口説いた事なんか無いんでしょ」
「あってたまるか」
 中庭に続く廊下を渡り、ドアを薄く開いたとき、彼らの交わす軽口が耳に届いた。
「よう」
 ドアの閉まる音に振り向いたブルマに、ヤムチャは出来るだけ軽快な口調で言葉を掛ける。
「あら、おはよう」
 彼女が彼に挨拶を返したちょうどその時、庭の南東を囲む薄い林を透かして、朝陽が射した。レモンイエローのキャミソールから剥き出しになった肩が、艶々と光を照り返す。
「何してんだ、こんなとこで」
 丈の短いスカートを染めるメドーグリーンの濃色は、そこから伸びる彼女の足の白さを際立たせている。彼女のむこう、チェアで斜に構えている男からも、テーブルの下の肉感的な腿が丸見えだったに違いない。小さく不快な塊が、彼の喉元から胃をゆっくりと移動した。
「早朝デート」
「阿呆」
 彼女の言葉尻に被せるように、ベジータが低く吐き捨てる。あらあ、ホントの事じゃないの。その彼にブルマが流し目を遣り、悪戯っぽく囁く。しゃくしゃくと芝を踏む自分の足音を、ヤムチャは少し耳障りだと感じる。
「随分仲がいいんだな」
 ちょっと肩を竦め、空いた椅子の背に右手を掛けてつまらなさそうに呟いてみせる。
「そうよ、あたしたち仲良しなの」
 ブルマは笑顔でそう言うと椅子からさっと身を乗り出し、隣席のベジータの腕を取って自分の腕を絡めた。
 やりすぎだぞ―
 ヤムチャはぎくりと凍りつき、小さく息を飲む。だがおそるおそる視線を移動させてベジータの顔を盗み見ると、鋭い目付きはそのままだが、別段気を悪くした風でも無さそうだった。
「馴れ馴れしい真似をするな」
 彼女を横目で睨み、彼がそう反応するまでの僅かな時間差は、微かなざらつきを伴った違和感をヤムチャに植え付ける。照れなくてもいいじゃない。小さく肩を動かして自分を振り解き、ふんと鼻を鳴らした男の横顔を、彼女はにやにやと目を細めながら眺めた。
「まあ座れば?飲み物持って来たげる」
 自分が何か飲みたくなったのに違いない、ブルマはそう言うと椅子から立ち上がって彼等に背を向け、彼が今潜ってきたドアに向かってさっさと歩き出す。半ば呆気に取られながらその後姿を見送りつつ、ヤムチャはほとんど無意識の内に、彼女の腰から尻へと続くラインを視線でなぞっていた。伸縮性の高い、薄い布地の下で揺れる丸い双丘を眺めながら、柔らかなそれに掌を這わせ、指を食い込ませる感触を思い起こす。
 ―俺とした事が、朝っぱらから。
 小さく咳払いし、屋内へ消えた彼女から視線を戻したとき。
 あれ。
 彼は、さっきはそっぽを向いていた男が、いつの間にか自分と同じ方向に目を向けている事に気付いた。
 どこ見てんだよ。
 とは言っても、自分と同じ所をなぞっていたとは限らない訳だが。彼は少しむっとしながら、それでも、目の前の男がひょっとすると女の尻に目線を釘付けにされていたかもしれないと考えると―
「そうやっていつまで突っ立ってるつもりだ」
 目障りだ。明後日の方を向いて奥歯を噛み締め、込み上げる笑いをどうにか治める事に成功した彼に、先程よりは幾分鋭い調子で男が言い捨てる。この世に戻ったばかりの頃なら、多少なりとも腹を立てていただろう。だがこの男のぶっきらぼうな物言いに慣れてしまった今では、この手の言葉に大して意味は無いのだと解っていたので―長身の彼に真傍で突っ立っていられては実際目障りなのかもしれないが―、小柄な身体から発せられる鋭い気がぴりぴりと肌を刺すのを感じながらも、彼は曖昧に頷いて大人しく自分の席に腰を下ろした。
(とはいうものの・・)
 どうにも気まずい。早朝特有の爽やかな静寂が、少し重苦しく感じられる。この男と二人きりになる機会が全く無かったという訳ではないが、こんなに真傍で対座したのは初めてだった。ダイニングやリビングで顔を合わせる事があっても、彼らはお互い必要以上に距離を縮める事は無かったし、廊下や階段ですれ違うときも、大抵の場合この男は彼の事を霞のように無視するので、話題に困る事など無かったのだ。
 どのみち、話し掛けてもシカトされるだけかもしれないけどさ。
 立てた右膝に腕を預けてチェアバックに凭れている男を、ちらりと横目で見遣りつつ彼は考えた。正直、興味はある。このミステリアスな異星人と、サシで言葉を交わしてみたいと思う自分が居る。
 男は、インディゴブルーのリネン・シャツをゆったりと身に着け、袖を七分辺りまで捲り上げていた。透け感のある生地は、襟元や袖口から覗く、至近距離で見ると意外なほどに滑らかな彼の肌を、一層涼しげに演出している。イージーパンツのチョークホワイトが朝陽に映え、ヤムチャは反射する陽光の眩しさに思わず目を細めた。
 王子、か。
 生まれ持った何かというものがあるのだ、と感じないではいられなかった。男が地球に来てから、さして時間は経ってない。この星に於ける装いについての感覚が磨き上げられる十分な時間があった訳ではないはずだ。それでも、何が自分を美しく見せるかをちゃんと知っている。パンツと同色のキャンバス・シューズが(紐は無かった)座面の端で切り取るくるぶしの端正な形は、一見ゆるやかで優しげな男の装いを引き締め、それに知性を添えているように彼には感じられた。


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