このかたわらのぬくもりは

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 触れるすべてが柔らかい。
 最初、破ってしまわないかと指先が震えたほどだった。白い肌に、強く、弱く触れるたび、甘やかな痺れが指先から喉元まで駆け上がる。彼の抽送に併せて漏れるその声は、媚薬のように作用して彼自身の動きを煽り、女の中に出入りしている彼の一部を包み込むその波打つような動きは、彼自身の溜息を誘った。
 最も奥深くに触れると、肉体の先端から伝わる波動が鼻の奥を震わせ、彼は呻きを抑えることが出来ない。女の唇から漏れる彼自身の名は、その青い瞳から零れる涙を何か貴重なもののように感じさせ、閉じられた瞼に彼の唇をいざなった。
 滑らかな曲線だけで象られたその身体を弓なりに反らせて痙攣している女の、その最奥に自らを押し当てて放つと、彼の肉体は力を失い、崩れるようにその体に沈み込む。

 どうなってる。これは、普通じゃない。

 朦朧とする意識を叱咤しつつ、考える。
 女を抱くのは初めてではない。だが、彼にとってそれは必要不可欠といえるものではなく、むしろ体を離したあと酷く後悔させることさえあるものだった。母星の女が一人も残っていない以上、彼に残された選択肢は異星人の雌体だけだった訳だが、「交接可能な相手」は彼を満足させたことは一度もなかった。相手が自分たちに近い特徴を持ったヒューマノイドであればあるだけ、事が済んだあとのやりきれない気分が強まる。何故誘いに乗ったのかと自分を殴りたい気分になる。ひょっとすると自分は元来女を受け付けない体質なのかもしれない―特に不都合は無いが―とさえ思った。
 侵略先の星で、チームの部下たちが嬉々として次々に女を抱き殺していくのも彼をげんなりさせた。自分の直属である二人には節度を守らせたが(そのため彼ら二人は、慎重に相手を選び、彼らの上官の目に入らない所で事に及ぶ必要があった)、上から彼に従うように命じられて加わって来た配下たちにとってみれば、それは報酬の一つであったので、無下に禁ずることが適切だとも言い切れなかった。

 この女とは違っていた。最初から、何もかもが。

 彼が一度死んだ星で彼女を最初に見掛けたとき、それが「女」だと判断する前に、彼の視線はそれの持つ青に吸い寄せられていた。美しい人間がいる。彼はそう感じて、自分がそんな感想を―しかもこんな緊迫した状況の下で―持ったことに軽く驚いた。だが、それだけだった。そして彼は彼女らを脅した。死にたくなければそこを動くな。それが、彼らの邂逅だった。

 地球に降り立って、彼女が彼を上品とは言えない文句で自宅に誘ったとき、何故かそれを断ろうという気にならず、黙って申し出を受け入れた。それはまったく自分らしくない行動だったと彼は回想する。あのとき、彼はこの女に興味を持ったのかもしれなかった。女としてというよりも、いまだかつて遭遇したことのない種類の視線をまっすぐに向けてくる、この未知の生き物に。恐怖も憎悪も侮蔑も、欲望も媚態もなく、好奇心に満ちた、その深い、青の瞳に。

 そして彼らは結び合った。
 どちらからともなく、何を考えるいとまもなく、磁石の対極同士が引き合う如くに。
 いや、もともとこれは考えて及ぶ行為じゃない、と彼は思い直す。行為じゃないのだが、この強引さはどうだ。
 意思の及ばないところで、何かが自分を突き動かすのを感じたように思った。理性がブレーキを掛けようとしたが、彼の体は止まらなかった。やわらかく甘い唇の刺激。てのひらに吸い付く皮膚の感触。鼻腔をくすぐる、肌の匂い。くそ。かれは押し流される自分に毒づく。精一杯の抵抗だった。
 青に瞳を吸い寄せられてから二十八度目の満月に照らされ、女の体が輝いていた。何かが動き出す音が、聞こえたような気がした。


 相性がいいのか。

 たぶん、そうなのだろう。あるいは地球人の女が、というよりこの女が、特別なのかもしれない。
 相性の方に一票だ。この下品な女が特別だなどとは考えられんからな。彼は、それでは彼自身にとって彼女が特別なものになるのだということに気付かない。
 熱から開放された今も、触れ合った頬や胸、あらゆる部分で、自分たちが対流しているのを感じる。四肢に力は戻って来ていたが、体を離すのが惜しいような気がして、彼は女と繋がったまま、首筋に埋めた顔を上げようとはしなかった。
 気付くと、規則正しい、静かな息遣いが彼の耳に伝わってきた。顔を上げて見ると、女は小さな口を半分開けたまま眠っている。
(・・信じられねえ・・もう寝てやがる)
 いや、気絶するように寝入ってしまった、というほうが正しいのかもしれなかった。それに思い至った瞬間、彼は、この女をどこも壊さなかっただろうかと考えた。
 気をつけたつもりではあったが。体を離し、女を少し動かして確認する。女は一瞬眉根を寄せ、んん、と声を漏らしたが、すぐに幸せそうな微笑を口元に刷き、再び安らかな寝息をたてる。
(・・呑気な女だな)
 俺の隣で眠るのか。彼は自分の側で眠る女というものを初めて見たのだということに気付いた。彼が、女が眠るまで傍に居なかったからなのか、女の方で彼の傍で眠ることを警戒したのか、それは分からない。
 貴様には危険を嗅ぎ分ける能力が無いようだな。彼は女の首に手を掛ける。
 俺はもう超化した。お前がいなくとも、もう不都合はないんだぞ。少々不便ではあるかも知れんがな。わかったような口を利いてやがって。俺がこの指に少しでも力を込めれば、お前は亡骸になるんだ。
 だが、彼がその指に力を込めることは無い。
 親指で、女の小さな頤をなぞり、果実を思わせる唇に押し当てる。それは彼の指を押し包み、隙間から彼女の温かな息吹を伝えた。首筋に触れている薬指に力強い拍動が伝わる。何の力も持たないはずのこのちっぽけな生き物は、静かに、だが確かな存在感で彼を圧倒した。
 女が彼のほうに寝返りを打った。その胸元に、自分の首に掛けられていた男の手を抱え込みながら。彼の腕に彼女の乳房が押し当てられる。それはどこまでも温かく、やわらかに彼を包んだ。
(奴を倒すまでのことだ)
 自分を出し抜いた忌々しい下級戦士。この女の友人で、何度も地球を危機から救った男。
 あの男を倒したとき、このぬくもりは自分の傍らから失せることだろう。あれを失ってなお、この女が自分を受け入れ続けるとは思えない。それならば。
(その日まで、この体に溺れてみるのも悪くない)
 彼は女の胸元からゆっくりと腕を抜き、それをまろやかな背に回して、抱き寄せた。

 2005.4.8



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