その花の青は(1)

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 テーブルの上に無造作に置かれた煙草の袋が目に入った。
 妻の父親のものだ。長く同じ銘柄を吸い続けているせいか、彼の身体からは、白衣の胸ポケットで揉まれたのだろう、このくしゃくしゃになった小さな紙袋に入った煙草と同じ匂いがする。
 妻は二度目の妊娠が判ってから煙草を断っていた。一度目の時にどうだったのか記憶が無い。ただ、今思うとその間ベッドで煙草を吸う彼女の姿を見たような覚えがないので ―彼はその時期それ以外の状況で彼女に会うことはほとんど無かった― 同様に控えていたのかもしれない。赤ちゃんに良くないのよ。彼女の嫌煙に気付いてそれを指摘する彼に、ふんわりと笑ってそう言った妻の幸せそうな顔を思い出し、彼は腰掛けたリビングのソファの上で、一人面映いような居心地の悪さを覚える。
 身体に悪いと分かっていて、何故吸う。
 不思議に思ってはいる。だがそれを咥えていると、アイデアが浮かんだり、集中力が増したり、神経が研ぎ澄まされたりするのだという。そんなものは彼に言わせれば気のせいでしかないのだが、本人が必要だというものを止める理由など無いし、それが嫌いだという訳でもなかったので、そのことに関して触れたことは無かった。
 だが、彼女の父親のやるこの銘柄は、彼女のものとは含有成分が違うのだろう、彼の鋭敏な嗅覚には幾分刺激が強かった。その上目に滲みたりもするので、吹かしている最中はできるだけ遠ざかるようにしている―尤もこの男が煙草を咥えていないということは滅多になかったのだが。
 それにしても―
 変わったもんだな。他人の嗜好品の種類まで把握している自分に改めて驚きを感じながら、彼は薄く笑う。そんな風に感じるときの心地悪さは相変わらずだが、それも悪くはないと思うようになった。大きな窓の外に下りる細やかな雨の帳に視線を移しながら、彼はそこから見える芝生の緑の瑞々しさに目を留める。
 変わらないな。
 後に妻と呼ぶことになる女に連れられ、彼が初めてここにやってきた時から。あれから何度、この緑は生まれ変わったのだろう。ここはいつも、こんなふうに潤いに満ちている。窓の隅の方に見える、昔は彼の背丈ほどしかなかったコニファは、今は結構な巨木に成長している。この窓に切り取られた景色の中で、それだけがこの星で彼が過ごしたの時間の長さを語るものだった。


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