私の愛した獣

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 気に入りが、一人増えた。

 芯から服従してはいないことを、彼はよく知っている。だが時に神経に障るその“わきまえたる不服従”に、我ながら不可解なほどの執着を覚えるのだ。自分には昔からそんなところがある、と彼は思っていたが、久々にそれを実感している。

 折を見て釘を刺しておくべきかもしれない、と思う自分を、彼は奇妙に感じている。
 あの子供の父親にとっては必要なのかもしれない。だが王であるための努力など、彼には不要であった。兵士達は、恐怖を植え付け、縛りつけておくだけで十分である。兵は彼の持ち物であり、消耗品だからだ。役に立てばそれでよいのである。手足になって働くならそれでよし、その気が無い、あるいは能力が無いのなら「廃棄」するだけだ。代替はいくらでもきく。腹の中などどうであろうと問題ではないのだ。だから気付いたとき、おやこれはどうした事だ、と自分の心の動きに驚いた。

 貴種の子である。
 野蛮な下等動物にもそんな違いがあるものなのか、と非常に興味深く感じたものだ。他の兵士に対してよく気紛れにそうするように、衆人環視の中で ―見物人の無いときは別だが― 弄ってやることに、彼は躊躇めいたものを覚える。そして己の中のその躊躇を根気強く観察していて、どうやら自分はあの子猿が本気で可愛いのであるらしい、ということに気付かされた。
 漆黒の瞳に沈めた炎のような敵愾心を、彼は手放し難いと感じているのだ。激しい憎悪を抱えながら、それを彼に向かって爆発させることはできない。といって、捨てることも隠し切ることもできない。腹の中で刃物を噛み砕いているようなその表情が、彼のどこかを快い痺れで満たすのである。あれが衆目に内心を晒してしまえば、そこは軍の秩序というものがある、処分せざるを得なくなるかもしれない。それを想うと、彼はうっすら寂しさをすら覚えるのだった。
(あまり自慢できた話じゃない)
 脳裏に兄の姿を描きながら、そう己を嗤ってもみる。彼の傷付いた優越意識は、憐れな下等動物に癒されているらしい。
『子供ながらよくやってくれています。あなたの働きに、わたしは満足していますよ』
 彼は事あるごと、そう労いの言葉を掛けてやった。そうした彼のふるまいに、周囲に置く他の兵士達が驚き、何故あの猿は特別扱いされるのかと不満そうに首を傾げる。
 子猿は、だが懐かない。
 元々彼以外の誰に対しても居丈高で高慢ではあったが、それ以上増長するでもない。子猿の拳は震えている。なぜおまえに労われねばならない、と腸(はらわた)を煮え繰り返らせているのだ。彼にはそれが手に取るように分かった。
 でありながら、
『ありがとうございます』
 外面(そとづら)は違う。彼への礼を示し、丁重に、そして優雅に頭を下げてみせる。口元に感謝の笑みをさえ湛えて。
 子供の、その驚くべき自制心を彼は小気味良くみつめる。この抑えがきかず、分を弁えぬプライドを暴走させて自滅する者の愚かしさに心底うんざりしていたし、適わぬと知って尚逆らう、そうした心の動きというものがまるで理解できなかった。この子供は違う。自分の生きる世界がいかなる場所であるかを、よく解っている。
 彼は半分本気で、その成長を楽しみにしていた。きっと野生を捨てきれぬまま、賢くてしたたかな猛獣になるだろう。彼は賢い者が好きだった。ついでに言うと馬鹿者は大嫌いだ。だから、
(馬鹿者にはなってくれるなよ)
 と願っている。彼は、子猿を愛していた。



 それなのに―
「所詮はあの男の息子だったって訳なのかい」
 彼が愛情を注いだ子猿は―既に子供ではなかったが―今まさに彼の手の中で死んでいこうとしている。彼我の世界を見誤り、笑えるほど愚かしい最期を遂げた父王と同じ馬鹿に成り下がって、逆心を剥き出しに彼に刃向かったのだ。もう生かしておくことはできない。そうするつもりも既に無かったが―
「可愛がってやったのに」
 口に出すと、余計に憎さが増した。
 なぜ逆らったのだ。お前だけは、他の野蛮で愚かなサイヤ人どもとは違うと、思っていたのに。
 獲物の首に尾を巻き付けて吊り上げ、彼は腹立ちに任せてその背を殴った。二度、三度、百度、二百度といたぶり続けたが、子猿はもうすっかり戦意を失っていて、抵抗すらしない。聞き苦しい呻きを上げて、ぶらぶらと翻弄されているだけだ。
「屑だな」
 そう呟く自分を、彼は空しくみつめている。彼の愛したしなやかな獣は、そこにはもう影も形も無いのだった。




2009. 8.23 (Blog掲載)
2009.11.25 (編集後分をMENUに掲載)



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